coffee letterにようこそ。

あなたは、「純喫茶」という言葉の意味をご存じでしょうか?
今はあまり純喫茶と呼ぶお店が多くないので、それって喫茶店のことでしょう?と思う方が多いかもしれませんね。
でも実は、純喫茶は一日を通してコーヒーを提供するお店のこと。
喫茶店は、昼はコーヒー、夜はお酒類を提供するというお店のことをさします。
私は高校生のころ、何を勘違いしたか、純喫茶と看板に書かれた文字を見ると、その店は妖しげな店なんだと思いこんでいました。
「純」という文字が、なぜかカモフラージュ的な雰囲気に見えてしまったのです。
おかしいですね…。
何をカモフラージュしていると思っていたのかは、具体的には言えませんが…。
そんなわけで私は、純喫茶と書かれてある店の前は、うつむきながら、見足早に通り過ぎたものです。
しかし、考えてみれば、妖しげな店が昼から営業しているわけがありませんよね。
インベーダーゲーム

思い込みの疑いも解け、20代のはじめ、私は純喫茶Sでアルバイトをしたことがあります。
Sの店内は木目調のカウンター6席と、その奥に四人掛けのテーブル席が3つありました。
テーブル席は大きな窓に面していて、コーヒーやクリームソーダを飲みながら、行き交う人の流れを眺めることができるようになっていて、一人で来店されても、ぼんやりできる落ち着いた店でした。
床にはエンジ色の絨毯が敷いてあって、ちょっと高級感もありましたね。
コーヒーはドリップ式で淹れていて、私がドリップでコーヒーを淹れる方法を習ったのはSでした。
店内には静かにジャズが流れ、暖かい雰囲気のSは、働きやすいお店だったのを覚えています。
カウンターとテーブル席の間には大きな柱があり、その横にちょっと低めのテーブルがあったのですが、
それが1980年代に一世を風靡したインベーダーゲームでした。
テーブルがコイン式のゲーム機になっていて、お客様はコーヒーを飲みながらとか、ナポリタンと食べながらゲームに夢中になっていました。
年代の若い方は分からないかもしれませんね?
すごく流行ったのですよ。
アメリカンとインベーダーゲームが好きな、ロマンスグレーのおじさま

純喫茶Sは、官公庁の近くにありましたから、昼時になるとそこに勤める方々でいっぱいになりました。
コーヒーつきのランチは550円。いつも完売でした。
店が空いている時間を使って、翌日のメインのオカズに添えるキャベツの千切りを、山ほど切った思い出があります。
店は、ランチ以外の時間はほとんどが常連さんで埋められていました。
ママさんが若くて美人でしたから、男性の方が多かったと思います。
私も若かったので、意味もなくよくからかわれたりして、箸が転がっても可笑しい年ごろの私は、毎日楽しい時間を過ごしていました。
そんな常連さんの中のお一人に、パリッとしたスーツを着て来られるロマンスグレーの紳士がいました。
背もスラっとしていて、乗っている車も高級車です。お名前をH氏とします。
H氏の年齢は50代から上だったと思います。
人当たりも良く、店に入って間もない私にも、気さくに話しかけてくれる優しい方でした。
ママから、H氏は会社の社長さんであることを聞き、
仕事もできて、お金もあって、身なりも立派で、お顔もハンサムでステキだなあ、と若い私はトキメキを持ってH氏を見るようになりました。
H氏は、決まったように右手をカチャカチャいわせながら店にやってきます。
右手に持っているのは、数枚の100円玉。それは氏がインベーダーゲームをするためのものでした。
それでも足りなくなると、店内で両替してあげるのです。
ゲーム機は2台ありましたが、どちらにも先客がいるときは、H氏はカウンターに座り、ゲーム機のテーブルが開くのを待つのです。
彼が私に向けて注文してくるのは、決まって「アメリカン」でした。
私はいつもより、いっそう心をこめてアメリカンを淹れました。
失恋|品のいいH氏には、すごい特技があった

決まってアメリカンを注文する、品のいいH氏には、店での専用のコーヒーカップがありました。
聞くと、ご自分で持って来られたということです。
それは、アメリカンを飲むのにぴったりな、少し大振りのウェッジウッドのカップでしたが、洗うときにぶつけたりしないか、私はかなりヒヤヒヤしたものです。
それはともかく、マイカップでコーヒーを飲みたいなんて、H氏はおしゃれで繊細。
彼への私の中の恋というよりは淡い憧れの気持ちは、少しづづ大きくなっていきました。
ところが、その淡いトキメキが、一瞬で粉々になってしまった悲しい、というか、変な事件があったのです。
ある日、H氏がいつものようにインベーダーゲームをしながら、ブルーのマイカップでアメリカンを飲んでいたときのことです。
私は店内に誰もいなくなった昼下がりのカウンターの中で、グラスを磨いたり整理したりしていました。
気がつくと、姿勢よく椅子に座ってインベーダーゲームをしていたH氏が、落ちつかない子供がするように体をゆすっているのが目にはいりました。
ゆするというよりかは、ヒョイ、ヒョイ、と左右のオシリをシーソーのように少しだけ上げたり下げたりしています。
H氏、どうしたんだろう?腰でも痛いのかな?と、カウンターからチラチラ私が観察していると、
「Hさん、また~、やめてよ~」
カウンターで雑誌を見ていたママが突然、笑いを含めた大きな声でH氏に言うのです。
それを聞いた私は、何がやめてなんだろう…?と、二人の会話の成り行きを見守ります。
ママが笑っているということは、怒っているわけではないらしいけれど…。
すると、H氏がママに返しました。
「ゴメン、ゴメン、わかちゃった?でも、出るもんは出る。出さないと体に悪いから。お客さんいないしさ」
H氏は笑っていました。
それを聞いて私はすぐに気がつきました。
エッ?それってもしかして、オナラのこと…??オナラしてたの?
オナラというのは、あのオナラのことです。
まさかとは思いましたが、H氏はオナラをしていたらしいのです。
私の頭の中では、スマートなスーツ姿のH氏とオナラが結びつきません。
氏は、にやにやしながらも、ゲームから目を離しませんでした。
そんなH氏を見たのは初めてです。
オナラは全人類がするでしょうけど、人前ではしないよね?
するなら、トイレいくか、人知れずこっそりするよね?
ふつう、しないよね?ね?
そう思ったら、私の淡い恋心は、パリンとヒビがはって瞬時に粉々になりました。
そして、自分のことではないのに、だんだん恥ずかしくなって、H氏をまともに見ることができなくなりました。
もしかしたら、当時、化粧をしていない私の頬は、恥ずかしさとショックで真っ赤になっていたかもしれません。
ロマンスグレー…高級車…アメリカン…ウェッジウッド…オナラ…それも人前で…マジ?
純情だった私は、行き場のなくなったとトキメキを、笑いに変える余裕がなく、すでにピカピカになっているグラスをまた磨いたりして、その場をやり過ごしました。
私のおどおどした雰囲気を見て、「嫌われちゃったかな~」とおどけて言うH氏に、私は仕方なく、口元だけで笑顔を返しました。
そんなことする?
いい大人が?
私の淹れたアメリカンを飲みながらオナラする人がいるんだ。
心の中は複雑で、H氏を責める気持ちでいっぱいです。
大好きだったのに…。
H氏が帰った後でママが言うには、
左右のオシリをちょっと上げて、音をさせないように、小出しにオナラをするのはH氏の得意技ということでした。
得意技ということは、しょっちゅうやるんだ。あんなこと!
そんなことできるものなんだ!
ママが楽しそうに話すので、ダメージを受けた私の純な心は、つられて、珍しい物を見たという好奇な気持ちにうまくすり替わってくれました。
そうして、一緒に笑うことができました。
それからはもう、H氏に全くトキメくことはなくなり、一ミリの興味すらなくなったのです。
私の淡い恋心は、音のしないオナラとともに去ったのでした…。
今ならきっと、ママさんのように笑い飛ばせるでしょうね (笑)
今回は、コーヒーにまつわる、私のなつかしい思い出を話してみました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
またのご来店をお待ちしております。